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グループホームで家族から絶縁された認知症高齢者を看取るまで

 

 グループホームでは点滴等医療行為ができないため、グループホームで天命をまっとうされる方は少ないかもしれません。ただ、中にはグループホームで最後まで生活される認知症高齢者もいます。

 今回は、グループホームで生涯を終えたSさんの事例をもとに、グループホームでの看取りについて考えていきたいと思います。

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Sさんの日常生活

 Sさんは、80代の男性で、アーとかウーとかしか言う事ができない失語症の方でした。失語症と認知症という診断でグループホームに入居されました。生活保護の方です。

 もともと、結婚もされており、お子さんもいる方でしたが、奥様以外の女性と関係を持ち、奥様だけではなく、子供も「もう関わりたくない」と、家族とは絶縁状態でした。Sさんは、親戚からも絶縁されており、グループホームに入居以来、一度も知り合いが会いに来ることがなかったです。

 そんなSさんは現役時代建築関係の仕事をしており、体の大きな方でした。歩行に関しては問題ありませんでした。食事においては、むせがあり、水分はトロミ入りで、刻み食でした。好き嫌いがあり、水やお茶はほとんど飲まず、コーヒー牛乳を毎日飲んでいました。

Sさんのターミナルケア

 Sさんにとって、日々、知り合いが会いに来ることもなく、私たち職員が家族のようなものだったと思います。

 そんなSさんが、食事を摂らなくなりました。ご自身で飲み物を飲む行為もなくなりました。会話ができず、病院で検査しようとすると暴れて、検査ができませんでした。

 本人との意思疎通もほとんどできませんでした。言葉を話せなくても、頷きや首を横に振る方なら意思疎通できますが、Sさんにはそれもして頂けませんでした。

 職員間の会議の中で、医師による往診を受けながらグループホームで最後まで看取る事になりました。

 外へ出かける程歩けた歩行状態はなくなり、歩けず車いす生活になりました。大好きだったコーヒー牛乳も自ら飲もうとされず、介助にて少しずつ飲んでくれる日々でした。

Sさんの最期

 Sさんの最期は、その当時介護歴1年未満の僕にとって、「急に来た」と感じました。往診の医師が、「あと一か月は大丈夫」と言う中、その日の夜20時過ぎに、私の夜勤の時に息を引き取りました。

 医師から、下顎呼吸(下の顎が頭より上にあげるような呼吸)したら呼ぶように指示がありましたが、それもありませんでした。

 ただ呼吸する際に動きが小さくなっていたように感じました。私がSさんを見ながら、もうひとりの職員が他の入居者さんを見ている状態で対応に追われながら、私はSさんの手を握り、脈がかすかに動いているのを確認していました。

 それが、急に私の手を強く握ったかと思うと、Sさんの脈がとまりました。

 私に死亡診断はできません。医師を呼び、Sさんが亡くなった診断を受け、改めて亡くなったのだと、理解しました。

Sさんが亡くなった後

 Sさんがなくなり、再度ご家族様へ連絡させて頂きましたが、やはり会いにもきてくれませんでした。

 私たち職員がSさんの第2の家族として、不謹慎と言われるかもしれませんが、居酒屋でSさんの写真をおき、Sさんの思い出話しを職員間で語りつくしました。

 Sさんは無縁仏という形で火葬されました。

まとめ

 Sさんの看取りを通して、グループホームで看取るというのは、個人的に賛成です。自分が亡くなる事を考えると、病院より、住み慣れた自宅や顔なじみの職員がいる中で死んでいきたいと思います。

 ただ、その死ぬ場所を決めるのは本人だと思います。本人が、自分の意見と、近親者の意見を総合して、どこで死ぬのかを決める。しかし、認知症になってしまった後では判断するのは、そのまわりの人になってしまいます。

 自分が認知症になる前に、どういう最期を迎えたいか、あらかじめ決めておくのは大切なのかもしれないと感じました。

[参考記事]
「介護や医療の方針を決めるために必要なエンディングノートとは何か」

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