今回は89歳の男性で、認知症とCOPD(慢性閉塞性肺疾患)を患っている要介護3のCさんの「強い不安感」に関する事例を紹介します。強い不安感は「抑うつ」「不安」「不眠」といった認知症による周辺症状(BPSD)です。
今回の事例は家族がノイローゼになるほど苦慮していたケースですが、どう向き合えば尊厳ある介護ができるかを考えていきます。
慢性閉塞性肺疾患(COPD)は、代表的な慢性呼吸器疾患の一つであり、肺胞の破壊や気道炎症が起き、緩徐進行性および不可逆的に息切れが生じる病気である。多くの場合、咳嗽や喀痰も見られる。
COPDの主要な原因はタバコ喫煙であり(間接的・受動的曝露を含む)[2]、少数は大気汚染や職業病などによる、有毒なガスや微粒子の吸入である[3]。
主介護者である長男の妻の精神的な介護負担が増加
Cさんは長男夫婦と同居しており、本人、長男、長男の妻との3人で在宅生活を送っていました。主介護者は長男の妻で、受診や日常の介護等を献身的に続けておりました。
Cさんは、慢性閉塞性肺疾患という病気で在宅酸素療法をおこなっておりました。在宅酸素療法とは、肺機能の低下により体の中に酸素を十分に取り込めなくなったため、ご自宅で酸素吸入をする治療法で、通常より酸素濃度の高い空気をカニューレというチューブで鼻腔へ送り、酸素を投与することで呼吸を助ける療法です。
長男の妻が、最もストレスに感じていたことは、Cさんが、認知症による強い不安感により「酸素が漏れる」との訴えを1日中行うことです。ノイローゼになりそうとのことでした。
「酸素が漏れる」と繰り返し訴え続ける
Cさんは、頭髪がなくなっておりましたが、頭部にかゆみがあり、掻いては出血しカサブタができて、ということを繰り返していたため、頭部に常に擦過傷がありました。
そして、頭部の傷口から「酸素が漏れて苦しい」と5分おきぐらいに繰り返し訴え続けていました。
長男や長男の妻は「そんなわけないでしょ?」と取り合わず、受診時には主治医へも訴えましたが「酸素が漏れていないですよ。心配しなくても大丈夫」と言われたそうです。
介護の負担が大きくなったところでデイサービスを利用し始めることとなり、私の勤めるデイサービスの利用を開始しました。目標は「酸素が漏れる」「苦しい」「死ぬんじゃないか?」との訴えの軽減と24時間常時生活をしている長男の妻の精神的な負担を減らすことを目標としてデイサービスの利用を開始しました。
強い不安感への対応
デイサービスの利用中も同様に「酸素が漏れる」との訴えばかりが続くため、他の利用者ともコミュニケーションが上手くいくはずもなく孤立気味でした。
そこでデイサービスの看護師と生活相談員とで対応することとし、まずは傾聴することを中心に対応を統一しました。「酸素が漏れる」「苦しい」「頭部のカサブタから酸素が漏れる」と訴え続けるため、まずは頭から酸素が漏れるという不安感を共有し、酸素が漏れないようにどうするかを一緒に考えることとしました。
デイサービスの浴室は大浴場で5名程度入浴できる浴槽だったため、頭を浴槽のお湯につけて酸素が漏れなていないか確かめましょうとCさんへ伝えました。
Cさんは「是非たのむ」といい、浴槽の中で仰向けになり頭頂部をお湯につけて確認しました。当然、酸素が漏れているはずもないのですが、Cさんへ「今は酸素は漏れてないみたいですね、ブクブクしませんので」と伝えると安心されたようでした。
しかし、すぐに「また漏れ始めた」との訴えが始まります。そこで看護師と相談し、漏れてないことを確認したら、「塞ぐ」処置をすることを試みました。
酸素が漏れるカサブタに差支えのないプロぺト軟膏(ワセリン)を塗り、ガーゼで保護しテープで止めました。Cさんへ「しっかりと薬を塗って塞ぎましたので、もう漏れないですよ」と伝えたところ真剣な表情で「ほんとだ、漏れない」と初めて笑顔を見せてくださいました。
看護師と生活相談員とで、対応そのものは子供じみているかもしれませんが、とにかく真剣に傾聴し、訴えに対して真剣に対処することを心がけるようにしていきました。決して、認知症だからといって適当に対応したわけではないことだけは言っておきます。
Cさんがデイサービスから自宅へ帰る際には、「ガーゼは次の利用日まで絶対に取らないように」と伝え、万が一取れてしまった時のために、ガーゼとプロぺト軟膏を少し渡して長男の妻へやり方を教えるので安心するように伝えました。
見事に酸素が漏れるという不安感は無くなり、週3回のデイサービスも欠かさず来るようになり、長男の妻の負担も軽減されていきました。
尊厳ある介護とは
「尊厳を守る」「尊厳ある介護」「その人らしく」などと介護の業界ではよく言われますが、具体的にどういうことかを説明することが出来る人は少ないのではないでしょうか。
尊厳を辞書で調べると
「尊く厳かで犯してはならないこと」
と出てきますが、介護における尊厳とはやや違うと感じる方も多いと思います。
介護における尊厳は定義があるわけはありませんが「その人の存在価値が認められていること」「自尊心が保てる環境であること」ではないかと考えます。
ある末期がん患者の言葉で、「私が本当にうれしいことは、私の言うことを理解している人がそばにいることではなくて、私の言うことを理解しようと聞いてくれる人がそばにいることです。」という言葉を聞いたことがあります。人は、どんなに認知力が下がったとしても、自分がどう取り扱われているかということについては敏感です。
誰もが持っている「自尊心」とは読んで字の如く、自分のことを尊いと思う気持ちで、人は誰もが「自分のことを大切にしてほしい」「最期まで生きる価値や役割があると思いたい」という気持ちを持っているものです。
認知症の対応では教科書通り「こうすれば大丈夫、うまくいく」ということは少なく、症状は同じようでも一人ひとり違うものです。大切なのは、形式的な対症療法としての対応や声かけではなく、「どれだけ心を込めて向き合うか」ということが、なによりも大切だと考えられます。
[参考記事]
「お金に執着する認知症の人への対応策について」
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