今の時期、施設の門を入り玄関まで並木道は、激しく蝉の鳴き声が降り注ぎます。なぜか部屋の黄色いカーテンが気にかかり、ふと足を止める、一瞬の静寂の訪れとそれを破る羽音。「わぁ、やられた」蝉からの嬉しくない贈り物を噴き出してくる汗と一緒に拭い、私は施設の扉をくぐりました。その時、以下の会話が聞こえてきました。
「Wさん、また同じ話を繰り返しているのよ、ほんと認知症は嫌ね。」
「子供さんの自慢話と昔の苦労話でしょう、耳にタコができるってこのことね。何回、同じ話を繰り返せば気が済むのかしら」
「そうそう、お豆腐の誕生日ケーキ、貧乏が自慢だと思っているのかしら。」
出勤していきなり聞こえてくる利用者さんの井戸会議という名の人の悪口。いくつになっても人はこの類の話が好きなんだなあと少し暗い気持ちになります。
井戸端会議の主人公Wさんは認知症の88歳の女性。認知症のせいで、確かに同じ話を繰り返しています。まあ、普通の人なら毎日同じ話を繰り返し聞かされたら嫌になるのは当然でしょうね。シナリオが分かっている映画を見ているようですから。ですので、誰からも相手にされなくなったWさんの話し相手はもっぱらスタッフだけになりました。
後に分かったことですが、同じ話を繰り返すのには理由があったのです。それは「寂しさ」と言えばいいでしょうか。
Wさんは若いころにご主人を亡くし、女手一つで3人の子供を育て上げました。昼は工場、夜はビルの清掃と日夜問わず働いても生活は苦しかったらしいです。一番下の女の子の誕生日、ケーキを買う経済的な余裕がなかったWさんはなんと2丁の豆腐にロウソクを立てて誕生日ケーキの代わりにしたそうです。当時中学生だった長男は「これは、世界一のお母ちゃんのケーキや」と言ってくれたそうです。
こんな貧しい暮らしの中でも、子供たちはまっすぐに育ち、長男は国立大学教授、次男は弁護士、長女は衣料関係の会社を興し成功しています。Wさんは子供たちが成長してからお金に困ることもなく、何不自由なく、贅沢に一人で暮らしていたとのこと。ある時、軽度の認知症を発症したことから、高級な有料老人ホームに入るように子供たちから勧められたらしいのですが、「上品すぎてしんどい」というので庶民的な私たち施設に入居されたのです。
悲しい誕生日のケーキ
ある日の午後2時、Wさん宛てに長女さんからクール便が届きました。そう、今日はWさんの誕生日。荷物は有名ホテルのケーキでした。真白く四角いあまりにも飾り気のないケーキは、特別に作ってもらったものなのでしょう。Wさんが昔長女に作ってあげた豆腐のケーキをイメージしているのでしょうか。
ケーキと一緒に召し上がっていただくために、次男さんから送られた特別なアールグレイの茶葉でアイスティを作っている時、先輩スタッフがふと「Wさんの子供さん、みんないい人よね、でも出世しすぎて、ここに顔も出せないくらい忙しいらしいの、それも寂しいね。認知症もそんなに進んでいないし、子供の顔はまだ分かるよ」とため息交じりに。「うん、ほんとそうだよね。一回くらい顔を見せに来てもいいようなものだよね。」
私は、ケーキとアイスティを持ってWさんのお部屋に伺い、Wさんに勧められるまま、ケーキと紅茶をご馳走なり、いつもの同じ話の繰り返しを聞きました。正確にいえばいつもと違い、今日はなぜかアルバムを出して写真を見せながらの思い出話です。アルバムにはたくさんの子供たちの写真がありました。経済的に苦しい時期に写真代だけでも大変だったろうなとは思いますが、子供の成長、家族の団らんがWさんの心の支えだったのでしょう。やがて、その時の写真が今になってとても大切なものになるなんて思ってもいなかったでしょうが・・・
私の目は一枚の写真のところで止まりました。それはロウソクを刺した豆腐を囲み、はじけるような笑顔の4人が写っていました。「あぁ、それね。昔お金がなかったころ、お豆腐で長女の誕生祝をしたのよ。娘と私の誕生日だから奮発し2丁も買ってね。それでね・・・」
Wさんはもう何度も聞いたことのある同じ話を笑顔で話し始めました。でもその目はどこか寂しげに思えたのは、子供から貰った切子ガラスの青が瞳に映ったせいだけではないでしょう。アルバムは長女さんの成人式の写真で終わっていました。
入居の時に着けた窓の洒落た黄色のカーテンは長女から送られてきた有名なデザイナーによるものだったかな。「Wさん、たまには夏の空気、吸いませんか」私はカーテンを開き、ガラス扉を開きました。蝉の抜け殻が一つ、何かを離すまいとしっかりと網戸を掴んでいました。昔の大切な思い出を離さないWさんと被って見えたのは気のせいでしょうか。同じ話を繰り返すのは昔の思い出を忘れないためと思わずにはいられません。