■はじめに:人形を抱く認知症患者、その意味とは
介護施設や認知症病棟で、赤ちゃんの人形を大切そうに抱いている高齢者の姿を見たことがある方も多いのではないでしょうか。
一見すると「子ども返り」のように見えるこの行動には、実は科学的にも心理的にも深い意味があります。
このような取り組みは**「ドールセラピー(Doll Therapy)」**と呼ばれ、認知症ケアの現場では世界的に広く活用されている心理療法のひとつです。
この記事では、認知症患者が赤ちゃんの人形を持つ理由、その効果、注意点、そして医療・介護現場での活用実例までを詳しく解説します。
■ドールセラピーとは何か?
ドールセラピーとは、赤ちゃんの人形やぬいぐるみを介して情緒的な安定をもたらすケア手法です。
主に認知症の中期〜後期の患者に対して行われ、ヨーロッパや日本の介護現場でも広く導入されています。
この療法の目的は、「現実と非現実を区別できなくする」ことではなく、安心感や自己肯定感を取り戻すことにあります。
人形を通して「守る」「世話をする」「大切にする」という行為を思い出すことで、患者本人の心が落ち着き、暴言や不安、徘徊といった行動が減るケースも多く報告されています。
■なぜ人形が認知症患者の心を落ち着かせるのか?
1. 母性・父性本能を刺激する
多くの高齢者にとって、赤ちゃんの姿は「守る対象」であり、母性や父性の記憶を呼び覚ます強いトリガーとなります。
人形を抱くことで「この子を守らなきゃ」「泣いていないかしら」といった自然な感情が湧き、心の活力を取り戻します。
2. 愛着行動が安心感をもたらす
心理学的に、人は不安を感じたとき「愛着対象」に触れることで落ち着きを得ます。
赤ちゃんの人形は、まるでペットや家族のような存在となり、孤独感の緩和や情緒の安定を促します。
3. 記憶を刺激し、会話や感情表現が豊かに
人形を抱いている患者に「この子はお名前あるの?」と話しかけると、
「〇〇ちゃんよ」「私の子どもが小さい頃もこんな感じだった」といった自然な会話や回想が生まれます。
このような回想は脳への刺激にもなり、認知機能の維持に良い影響を与えると考えられています。
■ドールセラピーの医学的・心理的効果
認知症ケアの研究では、ドールセラピーの導入によって以下のような改善が報告されています。
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不安・怒り・暴言などのBPSD(行動心理症状)の軽減
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徘徊や帰宅願望の減少
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睡眠の質の改善
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食欲の向上
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介護者との関係性改善
特に、「帰りたい」「子どもが心配」といった訴えを頻繁にする患者に効果が見られることが多く、
人形を抱くことで“子どもと一緒にいる安心感”を得て、落ち着きを取り戻すケースがあります。
●実際の研究例
イギリスのケアホームで行われた研究では、ドールセラピーを導入したグループで、
攻撃的行動が約30%減少し、スタッフのストレスも有意に軽減したと報告されています。
■介護現場での導入と実践例
日本の介護施設でも、ドールセラピーは特に女性の認知症患者に効果的だとされています。
たとえば、東京都内のある特別養護老人ホームでは、導入後に「帰宅願望」や「不安発言」が減少し、
利用者の表情が穏やかになったという報告があります。
実践ポイント
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本人が自然に人形を受け入れるようにする
無理に渡すのではなく、興味を示したときにさりげなく手渡します。 -
リアルすぎない人形を選ぶ
あまりにも本物そっくりだと混乱を招くこともあります。程よい柔らかさと温かみのある素材が理想です。 -
介護者が共に関わる
「かわいいね」「お洋服を着せましょうか」と声をかけることで、共感的な関係を築けます。
■倫理的な課題と注意点
一方で、「人形で患者をだますのではないか」という倫理的な懸念もあります。
そのため、ドールセラピーを行う際には、以下の点に配慮が必要です。
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患者を現実から遠ざける意図では行わない
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本人が嫌がる場合は強制しない
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家族に事前説明を行い、理解を得ておく
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「赤ちゃんを預かってくれてありがとう」など、尊厳を保つ声かけを行う
ドールセラピーの目的は「現実逃避」ではなく、安心できる心の拠り所をつくることです。
その理解が介護者側に求められます。
■まとめ:赤ちゃんの人形がもたらす“心の安定”
認知症患者が赤ちゃんの人形を抱くのは、単なる行動ではなく、
愛情や安心感を取り戻す重要な心理的プロセスです。
ドールセラピーは、薬を使わずにBPSDを和らげる有効な非薬物療法のひとつとして注目されています。
「子どもを守る」「大切にする」という人としての根源的な感情を思い出すことで、
穏やかな気持ちで日々を過ごせるようになるのです。
認知症ケアの現場では、こうした心に寄り添うアプローチがますます重要になっています。
赤ちゃんの人形は、単なるおもちゃではなく、患者の心を癒やす“もう一人の家族”なのかもしれません。
