はじめに
アルツハイマー病(Alzheimer’s disease, AD)は、認知症の中でも最も一般的な形式であり、世界中で高齢者を中心に患者数が増加している深刻な神経変性疾患である。その主な特徴は、記憶障害、言語障害、判断力の低下、人格変化などの認知機能障害の進行である。病理学的には、アミロイドβ(Aβ)の異常沈着とタウタンパクの過剰リン酸化による神経原線維変化(neurofibrillary tangles, NFT)が主要な所見とされている。
本稿では、アルツハイマー病の発症と進行に深く関与しているアミロイドβおよびタウタンパクに関する2020年代以降の最新知見を概観し、診断・治療・予防への応用の可能性について論じる。
1. アミロイドβの最新知見
1.1 アミロイドカスケード仮説の再評価
1990年代に提唱された「アミロイドカスケード仮説」は、アルツハイマー病の原因としてAβの蓄積を主軸に据えている。この仮説によれば、脳内における可溶性Aβの蓄積が神経細胞死を引き起こし、続いてタウタンパクの異常やシナプス機能不全を誘導するとされてきた。しかしながら、Aβを標的とした治療薬の多くが臨床試験で失敗したことから、この仮説に対する再評価が進んでいる。
2020年代に入ってからの研究では、Aβの総量よりもオリゴマー(可溶性Aβの集合体)の毒性が重要であることが明らかになってきた。特に、Aβオリゴマーがシナプス可塑性を阻害し、LTP(long-term potentiation)の誘導を抑制することで記憶障害に寄与するという報告が増加している。
1.2 Aβクリアランスのメカニズム
近年注目されているのは、Aβの生成よりも「除去機構(クリアランス)」の不全が病因に深く関わっているという視点である。グリンパティック系(glymphatic system)と呼ばれる脳の老廃物排出系が加齢や睡眠障害、血管障害によって機能低下を起こすことで、Aβが蓄積しやすくなることが報告されている。
また、ミクログリアやアストロサイトといったグリア細胞がAβ除去に関与することも明らかとなり、これら免疫系の制御が新たな治療標的となりつつある。
1.3 抗アミロイド療法の進展
2021年にFDAが承認したアデュカヌマブ(Aduhelm)は、Aβを標的とする初の疾患修飾薬であるが、その有効性と費用対効果について議論が続いている。2023年には、より高い選択性を持つレカネマブ(Lecanemab)が米国・日本・欧州で相次いで承認された。臨床第III相試験において、レカネマブはAβ沈着の有意な減少と認知機能の進行抑制効果を示しており、Aβターゲット療法に新たな可能性を示している。
2. タウタンパクの最新知見
2.1 タウの構造と病的変化
タウタンパクは本来、微小管の安定化を担う機能を持つが、アルツハイマー病では過剰リン酸化されたタウが自己凝集し、神経原線維変化を形成する。これがニューロン内での輸送障害や細胞死を引き起こすと考えられている。
近年の構造生物学的研究(特にクライオ電子顕微鏡を用いた解析)により、病的タウの繊維構造が高分解能で解明されつつある。特に、疾患特異的な「コンフォメーション(折りたたみ構造)」の違いが、アルツハイマー型と前頭側頭型認知症(FTD)などとの鑑別に利用できる可能性がある。
2.2 タウの伝播仮説
タウは細胞間を伝播する「プリオン様性質」を持つことが明らかになっており、病変の脳内拡大のメカニズムとして注目されている。これは、病的タウが正常なタウを変性させていく「シード仮説」に基づいている。
この仮説を裏付ける研究として、病的タウをマウス脳内に注入した実験では、時系列的に病理が広がることが観察された。また、ヒトPET画像を用いた解析でも、タウの分布が特定の神経ネットワークに沿って広がる傾向があることが示されている。
2.3 抗タウ療法の進展
Aβに続いて、タウを標的とした抗体医薬の開発も進展している。タウワクチンやモノクローナル抗体(例えば、semorinemabやgosuranemab)による臨床試験が進行中であり、一部ではタウ蓄積の進行抑制効果が示されつつある。
また、タウのリン酸化酵素(GSK3βやCDK5)を阻害する低分子薬剤も開発中であり、これらがタウ病理の進行を緩和できるかどうかが注目されている。
3. アミロイドβとタウの相互作用
アミロイドβとタウは別個の病理ではなく、相互に関連しながら神経変性を引き起こすことが現在の通説である。特に、Aβの蓄積がタウの異常リン酸化を促進し、最終的に神経細胞死を引き起こすという連鎖が想定されている。
このため、両者を同時に標的とする「併用療法」や、Aβ病理が進行する前の早期段階に介入する「予防的治療戦略」が有望視されている。実際、複数のバイオマーカー(Aβ、タウ、神経炎症、神経細胞傷害など)を組み合わせて病期をより正確に分類し、個別化医療に活かす試みも進んでいる。
4. 診断とバイオマーカーの進展
Aβおよびタウに関連するバイオマーカーの進展により、アルツハイマー病の診断は飛躍的に進歩している。PET(陽電子放出断層撮影)を用いたAβおよびタウの可視化に加え、髄液中のAβ42/40比、p-tau181、p-tau217、さらには血液バイオマーカーの測定が実用化されつつある。
特に、血中p-tau217やp-tau231の測定は、非侵襲的でありながら高い診断精度を示しており、将来的にはスクリーニングや疾患モニタリングに用いられる可能性がある。
5. おわりに
アミロイドβおよびタウタンパクは、アルツハイマー病の理解と治療において中心的な役割を果たしてきた。近年では、それぞれの構造や毒性、伝播メカニズムに関する理解が深まり、より精緻な診断と治療戦略が構築されつつある。
今後は、これら病理タンパクに対する個別化治療や、疾患予防に向けた早期介入の実現が求められる。そのためには、バイオマーカーや画像診断技術のさらなる発展、そして新しい治療標的の発見が重要である。
アルツハイマー病の克服には、基礎研究と臨床応用の橋渡しをいかに効率的に進めるかが鍵となる。Aβとタウに関する最新知見は、その橋の礎として今後の認知症医療の未来を切り拓いていくであろう。